3月も半分が過ぎ、
みなさんの家の近くに
春の兆しがいくつか見つけられますか?

近くにあっても意識しないと
以外と気がつかないものですよね。

もう20年以上も前ですが、
夫の転勤に伴い
ベオグラードという東欧の街に
住んだことがあります。

旧ユーゴスラビア(以下、旧ユーゴ)
という国の首都でした。
サラエボ冬季オリンピックも旧ユーゴで
開催されました。

調べてみると、
オーストリアやギリシャなど
7つの国との国境を持ち、
6つの共和国、
5つの民族、
4つの言語、
3つの宗教、
2つの文字、
1つの国家
ということがわかりました。

なんだか楽しそうと
その並んだ数字と多様性に
私の好奇心は刺激され、
これから始まる海外生活に
ワクワクしていました。

その後、民族紛争が起こり、
経済制裁下に置かれ、
手紙も電話も止められ、
電報で国外避難を指示される
とは思いもせず。

初めての海外生活に
最初の頃は
戸惑うばかりでした。
言葉の違い、
街には全く読めないキリル文字と
ラテン文字の表記。

生活が始まって思ったのが、
日本食料品が売ってない。
箱ティッシュがない。
サランラップがない。
紙オムツがない。
家の近くには小さな肉屋がありましたが、
薄切り肉は売ってない。
野菜を買うのは青空市場。
でも野菜の種類が少ない。
冬を越すための石油がない!?

どうしても、
ないものばかりに
目がいってしまいました。

日本では1年中、
いろんな野菜を買うことが
当たり前になっていたので、
当時の旧ユーゴでは、
冬は、カレーを作る野菜と
葉の硬いキャベツぐらい
しか売っていない。
と聞いた時、
毎日どんな食事を作ればいいの?
と苦笑いしたのを覚えています。

私たちは
“ないもの探し”は得意です。
いくつでも簡単に出てきます。
でも
ないもの探しをしていると、
すでにあるものの存在も
見えなくなってしまいます。

あるものに目を向ける、
悪いことではなく、
良いことに目を向けると
気持ちまで変わってきます。
エネルギーも湧いてきます。

それは心だけでなく体にも、
良い影響を与えます。

病気になった時も
「自分にとって、良いものは何か」
「元気になるにはどうしたらいいか」
に目を向けることが大切であると
サイモントン療法でも言われています。

日本を離れ、
なくなって初めて
そのありがたさに気づく。
私にとって旧ユーゴでの生活は
近くにあるもので、工夫して生活する。
そんな毎日でした。

そんな生活の中にも、
だからこそかもしれませんが、
今でも楽しく
思い出されることがあります。

現地の人たちはとても親しみやすく、
いつでも気軽に声をかけてくれました。

日本人はとても少なかったのですが、
子供たちに日本の行事を
楽しんでもらおうと助け合いました。

先に暮らしていらっしゃる先輩方が
冬になる前の準備を教えてくれました。

それは、ほうれん草を
何キロも茹でて冷凍すること。
赤いパプリカを炭で焼いて、
皮をむいて冷凍し、
それを冬の間、少しずつ解凍して、
日本から持ってきた、
おかかと醤油をかけて食べると、
日本の味を楽しめること。

現地にも
その土地の人の工夫が感じられる
保存食がありました。例えば
赤パプリカをスパイスや塩で煮て、
ペースト状にしたものをパンにのせて
食べるなど。

冬のある日、
2歳の娘と市場へ行きました。
色鮮やかな野菜は目に入らず、
ちょっと寂しい感じでしたが、

時々、西欧から入ってきた
トマトやラディッシュが
並ぶこともあるので、

「赤い野菜見つけよう」と
遊び心を持って、
娘と探しました。

「あったー!」と
見つけたのはトマト。
日本で売っているトマトみたいに
真っ赤ではないけれど、
他の野菜に比べて
とても割高だけど
売られているだけで、
ありがたい。

やっと見つけた嬉しさと
食べたい気持ちで買ったトマトは
その日のご馳走になりました。

いつもあるけど、
当たり前すぎて、
その有り難さを忘れてしまっている。
見慣れすぎていて、
見ているけれど、
見えていない景色。

そういえば、昨年、
我が家にホームステイした
海外留学生も
うちの家の前のマンホールを見て、
「こんなところに絵が!」と
写真を撮っていました。

そこには
YOKOHAMAという文字と
横浜ベイブリッジが刻まれていました。

目に入っていて、
よく見たことはなかった
と気づきました。

自分の近くにある
小さな幸せ探しをしてみると
今まで気づかなかったことに、
気づけるかもしれません。

また四季の移り変わりの中にも
ありがたいと思えることを
たくさん探して
自分で自分を癒していきましょう。